もぐらまんの日記

俺が独自に考えた事等発信していきたい。御役に立てれば・・・。

僕の今まで 後編

 

 

先ほど、少年鑑別所までのお話を書きましたが、

ここで次は少年院という場所でのお話になります。

知ってる人は知ってると思いますが、少年院の中ではルールは徹底されていて、

とにかく本当にメンタルやられるくらい辛いです。

 

慣れちゃえばそうでもないんですが、まあでも今思うと本当に辛い場所でした。

普通に話すことはできないし、好きなときにテレビは見られない、ネット環境はもちろん一切ないし、お菓子もたまにしかでないという、(自分大のお菓子好き)

でも今思うと少年院入って学ぶことができて今の自分があると思います。

 

実際に少年院であった人と社会に戻って遊ぶこととかあるのか?

全然ありました。本当はよくないみたいですが、今でも全然健全な遊びをして遊ぶくらい仲が良いです。笑

 

 

余談でしたがこれから少年院に入ってから出るまでのお話を長々と書いていきます。

 

まずは鑑別所からバスで少年院に向かう途中・・・。

ただただ市原なんもないw

緑豊かですね〜としか言いようがないくらい緑、緑、緑、時たまちょこんと家って感じで、ど田舎でした。コンビニも全くないし、潰れんじゃないのレベルでど田舎でした。

 

バスの中で一般人を見て、早く出たいとしか思いませんでした。

いや誰もが思うと思う。監獄生活がこれから始まるのに、わくわくするやつなんて

よっぽど頭おかしいやつしかいないはずです。

 

あれやこれやでバスにいる教官の人と話をしててとりあえず少年院について、

とりあえず荷物検査とか荷物預かる手続きとかを始めてると、

外から軍隊のような声が響き渡ってて、「おいおい、まじかよ・・・。」

って内心思った。

 

そのまま荷物預かりの手続き終わって単独室に入って、新入時にお世話になる先生と面談して、なんでこの少年院にきたのか、今回の事件はどう反省してるのかとか、弁護士に聞かれたようなことを聞かれたから同じように思ってもないこと(綺麗事)を伝えてとっとと、一人になりたかった自分は適当な返事とかしてなかった。

 

まあその先生熱血教師って感じで怒鳴ってきて本当にあんなイライラしたのないってくらい怒鳴ってきて、まじめにクソだるいって思いました。

 

一応単独室で毎日夕方に日記、

課題も出されてました。その課題ってのも非行に対すること。

ちゃんと考えれるだけ書いてちゃんと提出して難なく突破して、さて次は親への手紙をささっと書いて課題も終わりました。

(3日位かかりました全部で。)

 

んで、入園式的なのをやると知って緊張マックス。

当日になってまあ眉の濃い人たちが勢ぞろいしてて、少年院にいるんだなーとここで再度実感。

 

早く社会に戻れるために頑張ります!

と大声でみんなの前で発表して終わり。

新入時の教育をこなしていくんだけど、あの熱血教師が本当に嫌いでたまらなかった。

 

少年院の中の説明も受けたりしました。

バッジがあって、最初にもらうのが赤で、その後黄、青、白の順で進級していくことが分かった。

審査に落ちると1週間伸びることも詳しく説明された。

 

 

 

少年院の生活で使う基本動作をきちんと学んで、3週間?くらいだったかな?

進級式というものが毎週金曜日にあった。

早く進級して家に帰りたい気持ちでいっぱいだから自分に当てはまる週の金曜日が待ち遠しくて、いざ当日普通に審査に落ちて進級できなかった。

 

自分の性格の問題もあってか、問題行動が多すぎたのである。

少年院の中では笑っていけないのに、普通に笑って上級生に何度も注意されたり、反省の態度が見られなかった??とかそういうことだと思います多分。

 

早く帰りたすぎて先生に文句を言いまくった。

俺はちゃんと生活してた、反省はものすごくしてるし、なんで俺だけ進級できなかったんだ、とかもう訳のわからない文句ばっか言ってた記憶があります。

 

でも次の週には普通に進級できて大喜びした記憶がある。

黄色に進級した後は、普通に仕事もさせてもらうのですが、自分は陶芸の仕事に

ついた。

はっきり言って粘土遊びしてるような感覚でやってました。笑

だんだん少年院での生活も慣れてきて、行動もキリッとしてきて、上級生らしく。

次の進級もあっさり行きました。(青に進級しました。)

 

2、3ヶ月経ったくらいですかね多分。

 

ここらへんで先生との面会も増えて、事件のことについて何回も話しました。

自分のいけないところとか、なんで自分はそんな悪くないと思ってるのか、その細かい理由を探り出してきた先生ですが、どれだけ自分がやばい事件に関与したのか理解してきたんです。

罪を償うってなんだと思う?という質問に自分は被害者に謝罪すること。とにかく全力で謝罪すること、それしか思わんかったです。

 

でもそれは大きな間違いで、罪を償うってのは、捕まってその刑期的なのを終えたからとか謝罪したからじゃないことに気づいたんです。

 

自分が出した答えは罪を償えた人なんて100%いないって事と一生それを背負って生きていかなきゃいけないって事です。何が答えなのかはさっぱりわかりませんが、これが俺的には事実だと思う。

 

そういった事をわかってきてから一番最上級の白のバッジ(白)をもらえました。

後はもう外に出る日まで何週間しかねえ!って感じでした。

親もわざわざ面会たったの20分だけのために4時間くらいかけてきてくれ親の大切さも知ったし、親の大変さもわかってきました。

 

ここで事件が発生して、白に進級した3日後、俺は再逮捕で地元の警察署からやり直しになったんです。

 

この時絶望的でした。

また一からやり直しかと。

 

地元の警察署の留置場に入って、気分的に死んでいて何も考えられなくなってた時にその房に新入りが入ってきました。

 

「おじゃまします・・・。」

すげえ暗い声で、よ〜〜〜〜〜く顔見たら地元の後輩でした。

二人で、「えっ・・wwwww」

地元で自分が捕まった噂とかすごい流れてたらしくそういった事を全部聞いた。

 

その子がいたから留置場では気分的に少し明るくなれた気がする。

あっという間にまた鑑別所にいく日がきて、鑑別所でまた同じ先生に会う。

おいおいまじかよってなって、まあもう何も考えてなかったのであっという間に鑑別所の最後の日になった。

もう少年院の長期1年の方に送られる以外何もねえだろって思ってて、顔もクマだらけだし、弁護士にも少年院送致、ちなみに特別少年院の方に送られる事は覚悟しなさいって言われていて、期待も何もしてなかったんです。

 

そしたら審判の日にもう奇跡が起きて、その事件は不処分になったんです。

自分はなんでかわからないけど、えってなってとりあえず少年院の先生が迎えにきたんです。

 

ちなみに戻っても一からやり直しとかではなくて、また白からの復帰でした。

でも戻った直後自分は謹慎を食らったんです。

不正行為連発しまくってたんで🙅

 

20日間くらいまた伸びて地獄でした。笑

担任の先生も変わってて寮の主任でした。

めちゃんこ怒鳴られた覚えあります。

 

でもこれからきちんとがんばる事を約束して集団寮に戻る事ができて、めちゃくちゃがんばりました。寮の見本となる生活を送ってとにかくひたすら自分に厳しく。

 

年も明けて、正月にお餅も食べれて、正月がすぎて、自分がとうとう少年院から出るまで後4日間の通知がきて、単独寮に移されました。

 

ここで先生たちのお話をするともうこの頃にはいい先生たちだったとしか思いませんでした。

自分の悪いところを見直せるすごいいいきっかけになったし、これから社会に戻っても悪い事はしない強い気持ちを持てるようになったんです。

 

担任の先生やら他の先生とも話をして、とにかく俺は変われたんだってわかる事ができた。

 

 

少年院を出る日がきて、みんなの前で仮退院式。

その場にいる生徒たちに自分は、

大泣きしながらこう言いました。

 

「今ある事が当たり前だと思わず生活していってください。いい事に繋がっていくはずです」今でも覚えてました。w

知り合いの子が入ってきたんですが、こいつに関してはちょっとにやけてたと思う。笑

母親もその場にいてめちゃくちゃ号泣してた。

 

最後先生たちが見送りで、新入時の先生が走ってまで見送ってくれました。

 

今思う事は少年院入って本当よかったと思う。

何もかもが勉強になったからで、そのまま何も考えずに社会に戻ってたら人生どうなってたか今考えると恐ろしい。

 

てな感じで俺はシャバに戻ったのである。

出たその日の山岡屋のラーメンは味濃くて死にそうでしたけどね。

 

以上!!